高野孝子の
地球日記

「かぐや姫」

 表情豊かに日本の王子たちを演じる俳優ら。多くが障害者だ。

 「グッドイーブニング」。顔だけを真っ白に塗った若い女性が二人、入り口の両わきに立って迎えてくれた。真っ赤な唇でニッと笑う。てらてらした素材でできた、着物に似た不思議な服をまとって帯で締めている。

 ここはエジンバラ市内の一角にある劇場。劇場とは言っても、十八世紀の石造りの建物を改造して作った、収容人員三百名の小さな場所だ。
 冷たい雨が降る十二月上旬。シアター・ワークショップ(Theatre Workshop)という劇団のクリスマス記念連続公演に出かけた。彼らは過去6年間、12月は世界の童話をテーマにしている。「今年は『かぐや姫』だそうよ」と、知人に誘われた。彼女の友人が出演者の一人だそうだ。

 建物の中に入ると、竹や色とりどりの折り紙が飾られている。エジンバラ市と94年から姉妹都市関係にある京都府の小中学生が描いた絵もぐるりと壁にかけてある。これまたいかにも偽物の着物をまとった背の高い女性が、大きなお皿にお寿司を乗せて開演を待っている客の中をにこやかに回っている。金髪の彼女の顔も、真っ白だ。唇だけが小さく赤く塗られている。ゲイシャやサムライなど、外国から見る日本のイメージを誇張しているのだろう。

 ベルが鳴り、薄暗い部屋に入った。何だか大学時代に通った芝居小屋のような雰囲気だと思った。中央の通路を挟んで両側にイスが十脚ずつ、段々になっている。正面の舞台は客席からすぐ近く。一つの袖には竹やぶが作られ、もう一つの袖にはシンセサイザーやハープなどさまざまな楽器が置かれていた。

 ライトが舞台を照らし、登場人物が数名続けて歩いてきて、公演は静かに始まった。途端に私はびっくりし、舞台の上で散らばる人びとを凝視した。つえをついている人が一人、歩き方がぎこちない人が二人、ゲストの日本人の役者は、後まで気づかなかったが両腕が短い。竹取の翁役は、左足が義足ではないだろうか。おうな役の女性も足が不自由で、かぐや姫は下半身が動かないようだった。そして私を誘ってくれた知人の友人は、難聴もしくはろう者だという。言われれば確かに補聴器をつけていた。
 十二名の役者のうち八名が、一般的に言われる「障害者」だった。

 エジンバラの古い町並みの中にある劇場
 シアター・ワークショップは非営利団体。1965年、子どものための芸術と演劇センターとしてエジンバラで結成された。以後ずっと、地域の人びとが関わって共に作り上げる伝統を保っている。
 「演劇は商業行為ではない。むしろ、社会的、政治的、文化的な洞察を分かち合うことで個々人が変化し、取り巻く世界に影響を与えるもの」として、すべての人たちが関われるシアターを目指してきた。「障害」は社会が作っているもので、社会を変えることで克服できるという考えに基づき、世界の障害者自立運動とも連携して活動するという、あくまで社会派の芸術集団だ。

 2000年8月から、自主演劇の主要な舞台に障害を持った役者たちを完全に取り込む、プロとしてはヨーロッパでは初めてのシアターとなった。三年間分の助成金で、まずは障害を持った役者を五名、二年間契約してさらにトレーニングし、続く年には新たな5名を二年間、三年目にはさほど経験のない五名を、という計画だ。そうしながら、スコットランドにある四十ほどのプロの劇団が、最低でも一名の障害を持った役者たちを雇える下地を作り、彼らが自立できていくような社会環境作りが可能になるとしている。芝居を志す人たちに勉強の道を開くため、演劇学部を持つ教育機関とも提携するなど、社会環境を変えていくという彼らの決意の方向に着実に動いていっている。

 この『かぐや姫』(Kaguyahime:the Moon Princess)にゲスト参加した日本人役者は、「こいすみ ゆうすけ」さん。1983年に結成された大阪の劇団「態変(たいへん)」で13年も活躍しているという。
 彼の言葉で舞台の幕が開く。「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」。よく通るはっきりした日本語で彼が言葉を発すると、反対側に立つ二人の女性がタイミング良くそれを英語の歌にして合唱する。とてもきれいな声だ。

 服そうから髪形、メーキャップまで、遊びがかっているのでとにかく愉快だ。一人が何役もこなす。歌を歌う背の高い女性は、芝居の中で子役を演じるだけでなく、クラリネットやシンセサイザー、太鼓、と数多くの担当をこなしていた。役者たちが客席に飛び込んできたり、子どもたちとうまくかけあったり、火を吹く海竜が登場したり、最初は「観に来ただけ」だったのに、次第に私たちみんなが「参加」してしまっている。子どもたちは大喜びだ。ともかく手作りの味があって、観客と演劇側の間に距離を感じさせない。

 障害を持っている人たちの動きや顔の表情が、実際はとても効果的に芝居の中に織り込まれていることに気づいた。障害がないかのように頑張って動いているのではなく、そのままの自分が持つ能力や体、声や動きを生かしている。
 この舞台では、月で戦争があり、かぐや姫はそれを避けるために地球に送られたという設定になっていて、スクリーンに写された月の中では空爆のシーンが写る。地球でのさまざまな紛争、特にアフガニスタンへの攻撃を思い起こさせた。

 製作者サイドには日本人スタッフはいない。作曲をした女性は、英国やオランダのオペラや音楽シアターで働いた経験もある。日本の伝統音楽のスピリットを取り入れて風を表現したとのコメントがある。非日本的である日本の表現が、新鮮で興味深い。新しい魅力を掘りだして見せてくれたようだ。

 どんな人たちでも来れるように、客席や会場への入り口も工夫されている。実際に車イスの人たちもいたし、盲導犬を連れた人もいた。必要なら手話通訳もあるのかもしれない。その盲導犬の目の前で、天狗のお面をつけた怪しい人間が、踊るように演技をしながら行き来するので、とうとう吼えだしてしまい、犬は退場となったけれど。
 やんやの大喝さいで幕が降り(実際には幕はないけれど)、再び建物の入り口付近の休憩コーナーでワインなどを飲んでいた。すると演出部隊や役者たちが、着替えて中に入ってきた。「かぐや姫」は車イスに乗っている。

 歌を歌っていた一人で、つえをついていた女性と話をした。
 フリーランスとして活動する役者や演出家は多いそうだ。彼女自身もそう。今回の舞台は、全員で合わせて練習したのは六週間だと言った。そんなものでできるの、と私が驚くと、「あら、長いほうよ」と言われた。彼女には役者としてではなく歌を歌う仕事が入るけれど、身体に障害がある役者がプロとしてやっていくのはヨーロッパではまだまだ珍しいという。もちろん世界中でそうであろう。

 この芝居を一緒に観た私の知人らは「私たちでも何かできることがありそうね」とさっそくボランティアの申し込みをし、一月にある公開ミーティングに参加すると言っていた。会場には、障害者も非障害者も、子どもも大人も、職種も人種も関係なく、地域に暮らすあらゆる人たちが平たく関わって共同作業をすることが生みだした喜びにあふれ、またそれを分かち合う幸福があふれていた。未来を拓く希望の種の一つを見つけた気持ちがした。
(12月29日 エジンバラにて)

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